はじめに:このウェビナーを企画した経緯~倫理教育をめぐる世界と日本のギャップを埋める~

今回ゲスト講師としてお招きしたWendy-Ann Smith氏は、コーチやメンター、スーパーバイザー、さらにはリーダーシップを担う人々の倫理教育の世界的第一人者であるコーチング心理学者です。

私が彼女の存在を知ったのは数年前のこと。ICFのCEOであるマグダ(Magdalena Nowicka Mook)が、Linked InでCoaching Ethics Forum(CEF)に登壇することを伝える投稿でした。 そのCEFの創設者がWendy-Annです。たしか創設2年目の年次フォーラムだったと思います。

以降、あらゆる機関から独立した中立的なプラットフォームであるCEFへの参加者は、年を追って増えています。そこから私はコーチングの実践者や研究者、教育者たちの倫理への関心の高まりを実感してきました。しかし日本からの参加者が少ないのは(英語の壁?なるものがあるとはいえ)なぜに・・・。

この大切な内容に触れる機会がないのは、単にもったいないというよりは危険だと感じました。世界が大きく変化していくなかで、コーチングの専門性に関する価値を問い直し、信頼を育むための道を探求すること。そのための中核に倫理があることが、もしも十分に理解されないままになっているとしたら。

しかし今回のウェビナー参加者から寄せられたリフレクションを読んで、日本のコーチやコーチングを学ぶ人たちの倫理に対する意識、関心の高さが伝わってきました。

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「倫理は完成させるものではなく、歩み続ける道である」という言葉を最も重要な学びとして持ち帰ります。

職務上で起こり得る事と日常で起こる事は本質的に一緒だという話がハッとさせられました。

4/24の回ではWendy-Annさんにどういう頻度や機会で振り返って、(倫理を)自分の中に落とし込んでいるのかという質問をさせてもらったが、その時に「倫理というメガネを通して常に見ている」という回答をいただき、とても衝撃を受けた。 コーチのプレゼンスとして、常にコーチであるという認識はあったが、倫理というところまで踏み込んではいなかったと思う。

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これは大きな希望であるとともに、コーチング教育を担う私たちが倫理教育をアップデートしていく大きな責任を担っていること再認識しました。

これまでMBCCはCEFの趣旨と活動への敬意と共感をもって支援し、またフォーラムへの登壇機会もいただいてきました。また2026年から立ち上がったEthics Circles(CEF会員が国・地域の母国語で対話しながら倫理を学ぶ)のco-leadとして、日本チームの運営を、ボランティアで吉田典生、山田浩史、松川美保が務めることになりました。

実をいうと今回のウェビナーは、こうした倫理教育のアップデートに向けたキックオフという意図もあったのです。これは単にMBCCという企業のビジネスではなく、CEFの中立性に沿った取り組みです。コーチングを100年後の世界に遺す価値あるものにしていくためには、コーチングの本質を社会システム全体からとらえて再構築していくことへの関心、志を持つ人々が結集する必要があると思っています。

規程を学ぶ vs 倫理性を育む

コーチングを本格的に学ぶことになると、必ず「倫理規定」にふれることになります。というか、もし倫理規定を扱わないコーチングの「認定コース」を学んでいる人がいたら、そのスクールの出所を調べたほうがよいです。

かように倫理規定を理解することは基本中の基本なので、今回のウェビナーは前段として、EMCC日本アンバサダーの鶴見樹里さんをお招きし、ICF(国際コーチング連盟)とEMCCやACなど欧州を中心とした他の団体が共有するグローバル倫理規定の最新版を比較しつつ、倫理と道徳や法律との違いについてなど、探求の前提を共有するための基本を押さえました。

前回のレポートはこちら

しかし倫理が規定を読めば正解にたどり着ける類のものではないことには、既に前回のウェビナーでもふれました。今回はそうした倫理の複雑性や曖昧さといったことを、さらに掘り下げていく時間になりました。

まずWendy-Annから送られてきた投影スライドのタイトルそれ自体が、倫理の本質に関するメッセージであると感じました。

専門性や職種を超えて倫理性を育む

ここに大事なポイントが2つあります。

ひとつは、倫理規定ではなく倫理性という表現に込められたものが何か。

ふたつめは、コーチという職業や役割を超えて育むとはどういうことか。

この2つを押さえることで、さらに倫理を深く学びたいという気持ちになる人が多いのではないかと期待しています。

ではまず、倫理性を育む、ということからウェビナーで得たエッセンスをみていきます。

倫理はコンプライアンスではない

日本ではコーチングの倫理規定を翻訳して学ぶのが通常なので、ほんらいのニュアンスをとらえることも含めて「意味を理解する」ことに意識が向きやすい面があります。そうすると余計に「意味がわかる=正解をもらう」という認知構造になりやすいと思います。

自戒を込めて(MBCCの講座に携わるトレーナーにも強調したい)、上記のように“ならないこと”が倫理教育の根本だということを肝に銘じなくてはなりません。

コーチングを真剣に学んできた人であれば、倫理規定は理解しているはずです。

わからなくなったら、少なくとも倫理規定を読み返して理解しなおすこともできるでしょう。

しかし今回のウェビナーで強調されたことは、倫理はコンプライアンスではない、ということです。

それは“コンプラ違反ですよ”と指摘する場面(される場面)を想像してみましょう。

たとえば情報漏洩や不正会計。〇〇〇をしてはいけない、〇〇〇を遵守する…と決まっていることに従っているか、いないか。コンプラ違反の有無は2択で判断することができます。また、そのように判断しなければなりません。

曖昧さの中で探求し続けることが倫理的実践

しかし倫理に関わることは、もっと複雑性が高くて関係性に依存することが多いので、〇と×を一般化してさまざまな事象に当てはめることができません。今回のウェビナーで扱った事例ではないのですが、一つ例を上げてみます。

「さいきん眠れない」と口にするクライアントA。本人は大丈夫だと言うが様子をみていてコーチは気になる。Aはあまり現在の職場や上司をよく思っておらず、その上司は高圧的なところがある様子。コーチはこのコーチングのスポンサー(契約先)である企業と、どう関わるべきか。今のところは静観するべきか。

当然ながら倫理規定のどこをみても、この場合はこうすればいいという答えは出てきません。

もしもAが職場や上司とうまくいっていて、何でも話し合えるけれど仕事量は山積している状況だったらどうでしょう。

もちろんその場合も倫理規定から正解をみつけることはできません。その一方で、最初に上げた状況とふたつめの状況では、コーチの判断が違ってくる可能性があります。少なくともコーチの思考に影響を与えますよね。

このように倫理的な問題とは、その問題の背景にある人間関係や組織の力学、文化的な文脈などに影響されながら発生し、それらの組み合わせ次第で対処法も変わります。したがって何が問題なのか、何が正しいのかが常に曖昧です。

コンプライアンスとの違いは、ここにあります。

だから倫理規定を精査すること、理解することは正しい行動を導き出すための手がかりではあるけれど、そこに依存していては倫理的な実践はできません。常に目の前に生じてくる状況は過去と同じではありません。些細な違いすら判断に影響を与え、判断の誤りが大きな問題につながる可能性があります。

結論として、どんなに倫理を知識として学んでも、自分の引き出しからチョイスして当てはめることはできません。それが、私たちは常に倫理性を育まなければならないという今回のウェビナーのメッセージにつながります。

倫理のレンズで日常を観る

ウェビナーでは相手との関係性が異なる2つの同じ倫理的な場面が提示されました。

ひとつは、あなたがコーチで相手がクライアントの関係。そこでクライアントがコーチングの枠を超えた感情的な支援を求めてきます。そのときコーチとして、どのように対処するか。

ふたつめは、プライベートの友人が困難な状況のなかで、あなたを強く頼って感情的な支援を求めてきている場合。あなたは友人として、どのように対処するか。

コーチとしては境界線を敷くけれど、友人はべつ・・・というのが、よくある典型的な回答だとWendy-Annが話していました。たしかにそのような回答が返ってきたし、私も一瞬、コーチとしての自分、コーチではない自分を当てはめて思考をめぐらせかけていました。

しかしほんらい倫理は人生に丸ごと関わってくるもので、自分がコーチである前に(他の職業で倫理を考える場合も同じく)人としていかに倫理的であるかを問わなければならないとWendy-Annは強調します。このように伝えられる背景には、「倫理は実践を通して磨き続ける道である」という彼女の明確な信念があります。

実践で磨くその実践とは、常に新たな事象です。ではコーチングという職業やコーチという役割において倫理を問う場面で、何が難しい問いを作り出すでしょう。私が言えることは、何が作り出すかわからないくらい様々な可能性がある、ということです。

倫理的ジレンマは相手の人生の多様な場面と複雑な作用から起きているので、それはコーチングのクライアントとして掲げる何らかのテーマにおけるジレンマというよりは、人生がもたらしているジレンマといったほうが適切ではないでしょうか。

もとよりプロフェッショナルのコーチングとは、課題ではなく人全体を扱っていくものです。そのことと倫理的ジレンマの生成を重ね合わせて考えると、コーチがコーチングという枠の中で倫理を考えることの矛盾がみえてきます。

いかに倫理というレンズを通して日常を生きるか。

それは社会の在り方や働き方、ビジネスの目的、さらには生態系といったところに施策を拡げることを促すような、深遠な問いに感じられます。

生成AIとの関わりのなかでコーチの在り方を再定義していくためにも、問い続けることが避けられない大切な問いをもらいました。

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