UCバークレー発行のマガジンに出ていたジャーナリングの記事が目に留まりました。

パンデミック渦中の5年前のこと。著者自らの体験と研究にもとづく解説がバランスよくまとまっています。

本文中に私が注釈を入れてオリジナルの英文との区別がつきにくくなるのを避けるため、訳文のあとに、私からの解説を加えました。


困難な時期に役立つ「ジャーナリング」の力
~ストレスと孤独を感じたら、思いや感情を書き出してみましょう~

著:キラ・M・ニューマン|2020年8月18日

2020年4月1日。自宅での隔離生活が2週間を超え、「新型コロナウイルスの問題はすぐには終わらない」と気づき始めた日でした。

こんなふうに苦しいとき、私はよく「ジャーナリング(書くこと)」に頼ります。私は4月中、隔離生活を記録する日記をつけることにしました。この歴史的な出来事を記憶に留め、自分の気持ちを整理するために。

今は8月。日記は今も続いています。外出は20回程度と少なく、日記の内容もささやかな日常の記録、社会的距離のルールや再開ステージの情報、不安や孤独、苛立ちや感謝などが入り混じったものです。

私のように「パンデミック・ジャーナル」を書いている人は他にも大勢います。心理学者たちが作成した「パンデミック・プロジェクト」というウェブサイトには、数百人が自身の体験や感情を書き込んでいます。

毎日が曖昧に流れていく今、ジャーナリングは「今日」と「明日」を区別し、頭に渦巻く不安な思考を整理する手段になっています。研究によると、それは健康や免疫にも良い影響を与えるかもしれません。多くの人が不安に感じている「まさにその部分」に。

ただし、ジャーナリングにも落とし穴があります。やり方を間違えると逆効果にもなり得ます。それでも、外出せず、誰にも会わずに取り組める、希少で貴重な心のケア方法の一つです。

「書くこと」が持つ力

人は昔から日記をつけてきましたが、科学者がその効果に注目したのはここ30年ほどのこと。数百にのぼる研究が、「思いや感情を文字にする」ことの効用を明らかにしてきました。

2006年の研究では、100人近い若者がストレスの多い出来事について日記や絵を描くように指示されました。その結果、感情について書いた人たちは、うつ・不安・敵意の症状が最も大きく改善しました。特に、もともと強いストレスを抱えていた人に顕著でした。書き慣れていなかった人も含まれていたにもかかわらず、です。

なぜ多くの人がジャーナリングを避けるのでしょう?
正直なところ、書くことは楽ではありません。私自身も「書こう」と自分を奮い立たせることがあります。「気持ちがスッキリする」というより、「カタルシス(心の浄化)」という言葉の方が近いかもしれません。実際、書いた直後に不安や悲しみ、罪悪感が強まることもあると研究は示しています。

でも、長期的には意味や健康面での利益があります。ある研究では、ジャーナリングを続けた人は半年後の通院回数が減り、喘息や関節炎など慢性疾患の症状も改善していました。

ジャーナルで免疫力が高まる?

ある研究では、ストレスやトラウマについて深く書いた医学生の方が、B型肝炎ワクチン接種後の抗体量が高かったという結果も出ています。ストレス体験を書くことが、免疫の反応を高めたのです。

また、単核球症ウイルスに感染した大学生を対象とした研究では、ストレス体験を書くことで、抗体レベルが上昇。心身への理解が深まり、前向きな視点も得られたという報告がありました。

ジャーナリングが効く理由

ジャーナリングは、「感情」と「思考」の両面に働きかけます。

まず、内に秘めた感情を外に出すことで、心身への悪影響を減らせます。頭の中でぐるぐるしていた感情や記憶が、文字という形を持ち、自分の外に出ていくのです。

次に、書くことで出来事を時系列に整理し、原因と結果を見極め、物語として意味づけできます。これにより距離が生まれ、新たな視点や自己理解が育ちます。

実践:エクスプレッシブ・ライティング

もっとも研究されている方法の一つが「表現的ライティング(Expressive Writing)」です。テーマを決め、20分間、深い感情や思いを自由に書き続けます。

・週に数回でもOK
・1回10〜20分でOK
・毎回同じテーマでも、変えてもOK

たとえば、パンデミック・プロジェクトは以下のような問いかけを提示しています:

社会生活:人間関係の変化や気持ちの変化について

仕事とお金:経済的な不安や仕事の変化

不確実性:不安の原因と向き合い方

注意点とコツ

2002年の研究では、「感情だけ」を書き続けた学生は、月の終わりに気分が悪化し、病気になる頻度も増えたという結果が出ています。一方、「感情+思考」を書いた学生は、強さや感謝、新しい可能性といった成長を感じていました。

つまり、効果的なジャーナリングとは「感情→思考」へのプロセスをたどるもの。最初は素直に感情を書き出し、やがてパターンや未来への希望を見出していくことが鍵です。

また、言葉だけでなく「絵」を加えると効果が高まることもあります。逆に、絵だけの場合は気分が悪化することもあるため注意が必要です。

話すことも有効です。声に出して録音するだけでも、免疫機能が向上し、心理的にも前向きになれたという研究があります。

書く自由と心の解放

もちろん、信頼できる相手と話すことも素晴らしい方法です。しかし、話すときは「どう思われるか」を常に意識せざるを得ません。紙の上なら、完全に自由で正直な表現ができます。

たとえば、中国研究者のクアトリーニ氏は、パンデミックによって研究と人生が大きく揺らいだことに気づいたのは、書き出したときだったと語っています。

「私の人生はすっかりひっくり返ってしまって、元に戻るのかも分からない。でも、書かなければこの気づきは得られなかったと思います。」


解説:マインドフルコーチングにおけるジャーナリング 

本文ではジャーナリングのもっとも研究が進んだアプローチとして、エクスプレッシブ・ライティングを紹介しています。この考え方と実践法が、私たちが推奨しているジャーナリングそのものです。日本でエクスプレッシブ・ライティングというと表現が難しい感じがするので、ジャーナリングという名称に統一しています(論文ではエクスプレッシブ・ライティングと表現されていることも合わせて伝えています)。

さて、この記事ではジャーナリングを通して健康状態が改善するという、さまざまなエビデンスが紹介されています。好きなことを書くだけで免疫機能が上がる?ほんとうかなあ・・・と思う人が多いのではないでしょうか。
かく言う私もその一人でした。しかし著者が伝えているように、ジャーナリング研究は過去30年くらい幅広く行われ、特に精神医療と関連する論文が数多く出ています。ただし記事に私が付け加えておきたいのは、これらの研究には極めて曖昧な領域がたくさん残っているということです。また論文を精読していくと、他の治療や支援にジャーナリングが組み込まれているケースも多いです。
したがってジャーナリングの何が、どこまで効果的なのか、それはどういう人々の、どのような課題に対してなのかは、これから探究を進めていく必要があります。

とはいえ根拠の曖昧な自己啓発ツールといったレベルではなく、科学の遡上に乗ったツールであることはご理解いただけたかと思います。そして重要なことは、ジャーナリングの教育や実践を科学の遡上で進めていくという明確な意思です。
パンデミックより前に出版した拙著『「手で書く」ことが知性を引き出す』(文響社)は、ジャーナリングのお題をたくさん用意して読者に書いてもらうことを意図した半ばノートブック的な体裁です。私の本のなかではもっとも少ない文字数の本を書くために、ジャーナリング関連の論文を読破しました。今でも手に取ってくださる方がいてロングセラーになっているのは、科学の遡上で書くことを徹底したからだと思っています。

書くことが習慣になっている人のなかには、嫌なことがあったりしてストレスがたまったとき、なぐり書きのようにノートに向かうケースもあるのでは。それに少し近いことを、この記事の著者も述べています。鬱積したネガティブなものを書き出してカタルシス(心の浄化作用)を得る・・・。ところが研究においては、ジャーナリングを通したカタルシスの効果は認められていません。
またそのような書き方をしていった際、<書いた直後に、不安や悲しみ、罪悪感が強まることもある>という研究を記事で紹介していますね。このあたりは実践において注意が必要で、メンタル不調に起因してジャーナリングを始めようとする場合は、そのまえに必ず専門家への相談を優先してください。

ではジャーナリングの効果はどこにあるのか。ひとことでいえば、認知の転換だと思います。
著者は研究にもとづくジャーナリングのアプローチを、<効果的なジャーナリングとは「感情→思考」へのプロセスをたどるもの。最初は素直に感情を書き出し、やがてパターンや未来への希望を見出していくことが鍵です>と述べています。
他者に気兼ねせずに思いを吐露し、出てきたものを見つめる。これは「手で書く」という所作に意図的な注意を向け、紙に現れてきたことを意図的に見つめる機会です。ジャーナリングを通して情動の渦から一歩抜け出るチャンスを得るのです。そして「自分」と一体化していた「思い」を、距離をおいて観察します。
おそらく著者が述べている「感情→思考」へのプロセスは、実際にはシームレスに展開することがほとんどだと思います。

感情を雲のように流れていく事象として外在化することで、それを「観ている意識」に気づきます。この意識はそのときの感情だけではなく、感情が流れていく様子も観ることができます。この経験をすると、「ずっといつまでも、こんなんじゃないんだな」という希望や、「だけど、いつもこんな感じになるよな」というパターンへの気づき(著者も“パターン”という表現を使っていますね)が生まれます。
いずれにせよ湧いている情動という火に油を注がず手を動かしていると、やがて心は鎮火に向かいます。
あなたがジャーナリングをしているときの脳は、コルチゾールの放出によって起こる動物的なサバイバル反応(視野が狭まり衝動的になる)を回避して、合理的に物事をとらえ衝動を制御する前頭前野の機能が目を覚ますのかもしれません。

マインドフルコーチングにおいては、コーチングという対話の時間の前、中、後にジャーナリングを活用することができます。前段階ではコーチングに向けたマインドセット(コーチングを受ける側は話したい内容や、これまでの経過をふりかえるといった準備も含む)に効果的です。
もっともコーチ側の訓練が必要になるのは、対話のなかに効果的にジャーナリングを取り入れることでしょう。行き詰まりを感じたとき、探求のスペースを拡げたいとき、行動へのドライブをかけたいときなど、さまざまな局面に応用可能です。こうしたアプローチの詳細は、また稿をあらためてご紹介しようと思います。
コーチング後のジャーナリングは、コーチとクライアントそれぞれの立場からのリフレクションに幅広く活かせます。たとえばコーチが自分の仕事について重荷を感じているときには、その状態を観察するところから始めるのもいいでしょう。コーチングの最中に大きなシフトが起きたクライアントは、そのときだけの“イベント”にならないように、ジャーナリングを通して次の行動に弾みをつけることもできるでしょう。

この記事を読んで興味を持ってくださった方は、“ジャーナリングどう使う?”というお題で、まずは5分間、手を動かしてみるのもよいかもしれません。