小さな経験を意味づけるコーチングのプロセスが、 社会を変えていくチャレンジの触媒になる
コーチングの役割は、ナラティブを通して経験に光を当てること
コーチングでは答えがコーチングを受ける側にあり、ティーチングでは答えを持たない相手にティーチャーが教える。これは20年くらい前に、あちこちで伝えられていた言説です。
しかし現在では、クライアント(コーチされる側)からも“答えが出てくるとはかぎらない”ことは、プロフェッショナルの基本認識として共有されていると思います。
どうすればいいかわからない混沌とした状況で、答えが見つかったと思いたいのが人間です。脳の認知機能を省力化するために、悶々と考え続ける状況を無意識のうちに避けようとするからです。
こうした認知科学からの理解にもとづけば、クライアントを「わかった気」にさせるのではなく、「まだわからない」という自己認識を持ち、対処についての自己管理を支援することが重要です。
すっきりした答えは見つからなくても、いま私は何を経験しているのかを実感することはできます。
安易な答えに向かう衝動を観察して(衝動に溺れてしまわずに)、自分の日常で何が起きているのかを味わってみる。20年前の言説になぞらえて言えば、コーチはクライアントのなかにある答えを引き出すのではなく、クライアントの経験を出現させることの手助けをしています。
答えがみつかるのは出現してくる経験の一部であり、その答えもまたクライアントと周囲の関係性や相互作用によっては変容していくでしょう。
ティーチャーやコンサルタントという括りではなくコーチという括りで専門性を捉えることの本分は、この経験への関わり方にあるのではないかと私は思います。
コーチがクライアントの経験に関わるということは、ただ経験についての話を引き出すことではありません。ゴールと現状を明らかにして、アクションを見つけ出すということ(だけ)でもありません。
クライアントのナラティブを通して、クライアント自身が経験の意味を見つけ出していくということです。(「ナラティブ」は「ストーリー」よりも、その場で紡ぎ出され生成されていくというニュアンスで区別されます)
このコーチングというアプローチの本質が、誰にとっても身近な経験と複雑な世界の問題をつなぐ力になります。
ここから私の経験、いやおそらく読んでくださっている方の多くも経験しているであろう小さな日常にいったん戻ってみると、なぜコーチングが気候危機において有用かというスケールの話につながってきます。
ではそれを考えるための本稿の題材として、グローバルな“ゴミの分別問題”に入りましょう。
環境問題に関する日常の小さな経験が、シンプルな問いによって意味づけられる
ゴミの分別が各地域の自治体や職場でルール化されて久しいですよね。
ペットボトルや他のプラスチックごみを分けて自宅やオフィスのゴミ袋に入れていると、なんてプラごみって多いの!と、いつも感じます。
と、ここまではただの経験です。
しかしシンプルな問いを立てることで、ここに意味が生まれてきます。
同じことを感じている人、どのくらいいるのだろう。
これは社会にどんな影響をもたらしているのだろう。
こんなに多くのプラスチックどうしても必要なのかな。
このまま同じ状況が続いたらどうなっていくのかな。
これらの問いを生み出して思考を刺激していくために必要なのは、好奇心と想像力です。もとよりコーチングには欠かせないもので、MBCCのプログラム気候問題に対処するコーチングでも、これをメタスキルとして重視しています。
忙しい日常のなかなで、私たちのさまざまな経験は十分に注意を向けられることのないまま流れていきます。
それをいちど立ち止まって味わってみることで、なにげない経験が他の多くの人々と共有している集合的経験でもあることが見えてきます。
プラごみの集合的経験を象徴するものがあります。
著作権があるのでリンクだけお伝えしますが、ケニアのナイロビ国連事務所の庭に置かれた高さ約9メートルあるプラごみで制作されたモニュメント。
カナダの活動家でアーティストのベンジャミン・ボン・ウォン氏の作品で、タイトルは『プラスチックの蛇口を絞めよう』。※NATIONAL GEOGRAPHIC記事より
実はこのナイロビで3月に、気候変動対策についての枠組みを定めた2015年に採択されたパリ協定以来、この枠組みに沿った「もっとも重要な合意」が交わされました。それがまさにプラスチックごみ削減に向けた、法的拘束力のある条約締結に向けての合意です。
集合的経験から生まれてくるのは、「私」が「私たち」であるという実感
「私」の個人的な経験が集合的な経験として実感できることには決定的な価値があります。
「私」という閉じた存在は生態学的にみて存在しえず、相互作用のなかで「私たち」が存在しており、そこに分かちがたく個の「私」が組み込まれていることへの気づきが生まれるからです。
これは時宜を得て気候問題だけを論じるための視点ではありません。家族社会学では家族のうち誰か一人に現れる問題を、家族というシステム=構造からとらえます。企業におけるチームコーチングでも、組織のアイデンティティと自己のアイデンティティの接地面をとらえていきます。
そうすると「私」なんかにシステムが変えられるのか?という発想が、システムを変えるのは「私たち」(私⊂私たち)という発想に転換します。この視座転換が社会や組織のトランスフォーメーションの起点となっていくはずです。
ここに生じている集合的経験を、ケン・ウィルバーのインテグラル理論の4象限モデルにあてはめてみたのが下の図です。
※4象限モデルから視座の転換を起点とする変容への流れを探る
私は「私たち」なのだという当事者意識が芽生えると、科学的事実の見方が変わる
「私」が「私たち」であるという実感が生まれることで、主観を排除した科学のファクトが活かされるようになります。
ここでいう「活かされる」とは、理解と行動を接続する共通理解になるということです。
なぜなら表面的な「私たち」では他人事で終わるけれど、私は「私たち」なんだというアイデンティティの認知が深まれば、目の前に示されるデータのとらえ方も変わるからです。
プラスチックごみ問題のファクトは次のようなものです。
- 海に流れ出すプラごみは2040年までに3倍に増えると予測されている
- この背景には生産量の増大と、それに伴う廃棄物の増大という2つの側面がある
- プラごみは海洋の流れに沿って移動するので特定国だけではなく地球規模の取り組みでなければ解決できない
- 現在生産されているプラスチックの40%はパッケージ用で、ほとんどが開封から数分以内に廃棄される。
- 1950年から2020年までの間に、化石燃料を主原料とするプラスチック生産量は年間200万トンから5億トンに増加。
- さらに2050年までに年間10億トン増加する。
(前述NATIOPNAL GEOGRAPHIC記事より一部要約)
これらのデータから何を感じますか。
私だけでなくみんなが日々なんとなく疑問に思っていることが放置され、難しい問題を先送りしていること。その結果として世界で何が起きているか、これからどうなっていくかが事実として示されているのではないでしょうか。
「私たち」でもある「私」が、こうして『この問題を作り出しているのは私たちだよね』という現実に向き合う契機がつくられます。
コーチングの本質的な機能は、社会起点のビジネスに向いている
いったん、ここまでのプロセスのポイントを整理してみましょう。
- 「経験のナラティブ」が経験に意味をもたらしながら「集合的経験」が実感される。
- 問題の「定量化」という別な側面が動機付け要因となる。
(よくわからない難しい問題から、たとえ難しくても何とかしなければならない問題なのだ、という転換)
もともと大きな変容に挑むようなコーチングでは、クライアントの存在理由を主観、客観の両面からみて統合的な視座をみつける手助けをする必要があります。
そのようなコーチングの本質的な機能は、社会起点の大きなテーマに取り組むリソースになります。
先に引用したNATIONAL GEOGRAPHICの記事では、今回の世界的な合意に向けた取り組み開始は「数年前までは考えられないことだった」という関係者の声を伝えています。
合意にはさまざまな要因があるでしょうけれども、プラスチックの生産者側である国際化学工業協会が決定に「全面支持」を表明していることは、これが私たちの命運を左右する問題なのだという切実な思いなしにはあり得なかったのではないでしょうか。
しかし逆の動きもあります。
温室効果ガスの増加と気候変動の因果関係、さらには人間社会の活動と温室効果ガスの増加の因果関係について、これだけデータが出揃っても、そこから目を背けようとするフェイクやら懐疑論が横行しています。
だからこそ今回の“パリ協定プラス”とさえ言われるプラごみ削減のための国際条約は、気候危機に対処するために必要なプロセスを示していると思います。
科学的なファクトをインプットするという理性的な作用は、私や私たちの経験を十分に感じ取り、未来を想像するという感性の作用との両輪です。片輪走行では行動戦略を策定して前進することはできません。
これはたとえば人間ドッグで将来気になる数値が示されても、これからどう在りたいのかということへの実感がないと自己管理につながりにくいのと同じです。
ライフコーチングやエグゼクティブコーチングなど、コーチングの前にさまざまな形容詞がつけられてはいても、理性と感性の両面から人を包括的に扱うことに変わりはありません。そうしたプロフェッショナルコーチングの前提が、「私」を含む「私たち」と関わっていくプロセスにも当てはまります。
組織全体のアライメントをとり、難しいコミュニケーションを支えるコーチ
プラごみ削減に向けた国際条約は締結したわけではなく、締結に向けての合意が交わされた段階です。それなのにパリ協定以降の「もっとも重要な合意」とされる最大の理由は、法的拘束力をもたせることに世界が合意したからです。
それによって今後のゴール設定には明確なコミットメントが求められます。そして説明責任も問われます。
やがて決定は世界のあらゆるビジネスのサプライチェーンに影響し、すべての企業が事業戦略に条約の意図を組み込んでいくことが必須になるでしょう。それはもちろん個人の生活にも影響してくるわけですが、コーチングの影響力ということを分かりやすく押さえるために、ここからビジネス活動に焦点をしぼってみます。
日本では一部の大手企業を除いてまだ認識が不十分ですが、脱炭素施策についての情報開示と進捗報告は、これから企業の責務になります。ですから事業内容や規模に応じた目標値の設定、行動促進が単にCSRではなく経営戦略に組み込まれてきます。
グローバル企業の状況を先行指標としてみれば、これから課題となってくるのが経営や脱炭素推進の旗振り役と、各事業部門とのアライメントをとる(共通理解を得る)ことです。
「業績に対するプレッシャーも強く、目先の課題を追っているミドルマネジメント層に腹落ちしてもらうことは容易ではない」(大手メーカーでサステナビリティを担う執行役員)
これまで四半期での業績へのコミットメントだけがリアルだったが、今後は2030年~2050年といったタイムスパンでもリアルな思考と行動が求められます。率直に言って、こういう動きには大半の人が慣れていません。
慣れていないことに取り組むことが不可欠で最重要になってくるのだから、チームのコミュニケーションが難しくなるのは当然です。そのプロセスを支援し、「私を含む私たち」の新しい組織文化を築いていくことが重要でないはずがありません。
ビジネス領域で気候危機にコーチが対処するというのは、このような組織メカニズムのアップグレードを支援していくということです。
ビジネス自体がアップグレードされるとき、コーチングの本質が問われる
もういちどプラごみ削減の条約にもどって本稿を締めくくります。
やがて締結される条約は、プラごみによる汚染に対処するという対症療法と、プラごみの生産量自体を減らす根治療法という2つの側面があります。
このうち人間が比較的適応しやすいのは対症療法です。いま起きている問題を目の当たりにしながら考えることができるからです。
それに対して根治療法のほうは、それが実現した状態を経験したことがないのでイメージが湧きません。一方で抜本的な対策には、慣れ親しんだビジネスのやり方、そこから手にしてきたものを手放さなければなりません。これができなくなる、これがなくなる、という喪失に関してはリアルです。だから抵抗が強くなります。
これを乗り越えていくには、「私を含む私たち」のメンタルモデルと対峙し、無意識レベルからの抵抗と反動に対処しなければなりません。
そこには複雑にさまざまな要因が絡み合っており、客観的な領域(求められる規範や制度、事業スキーム、それを遂行するための知識や技能)と、主観的な領域(未来に向けて手探りで進むマインドセット、倫理感の醸成や価値を共有する関係性)のなかから、当面の介入ポイントや行動戦略を見つけ出さなければなりません。
これまでの組織変革に携わるコーチが「企業起点の価値」にもとづいて関わっていたとすれば、気候危機に対処するコーチは「社会起点の価値」を喚起する立場から関わることになります。
「問題解決にあたるコンサルティングではなく問題の起きない組織をつくるコーチング」という立場が、「問題の起きない世界をつくるコーチング」に置き換えられるのです。
しかしこれはコーチングを新たに体系化してアップグレードするということではないと思います。ビジネスと世界の関係が変わるなかで、コーチングの作用がより本質的なところにつながってくるということだと私は考えています。
MBCCファウンダー 吉田典生