Mindfulness Based Coach Camp 典生人語

多様だけど公平ではない組織と、多様で公平な組織

吉田典生 投稿者:吉田典生 カテゴリー:典生人語

DE&Iはグローバル組織の共通言語

DEIはグローバル組織の共通言語

DEI(ダイバーシティ、エクイティ、&インクルーシブ)はグローバル組織の共通テーマであり、私たちMBCCも国際コーチング連盟から強くそれを求められています。これはICFの国際コミュニティに身を置くスクール、コーチが共有しなくてはならない価値観です。そして企業組織と関わってコーチングに取り組む中で、クライアントを支援していくための重要な方向性でもあります。

ダイバーシティ(diversity)は多様性、エクイティ(equity)は公平性、インクルーシブ(inclusive)は包括的という意味です。

この3つの要素のうち、日本社会でいちばん理解しにくいのがエクイティ(equity)ではないでしょうか。

きょうはここにスポットを当ててみたいと思います。この概念を理解し実践することが人と組織を活性化するうえで、そして社会を健全化かたちで発展させるうえで大きな鍵になると考えるからです。

公正であることは単なる平等ではない

 エクイティは「公正」と訳されますが、「平等」とは訳されません。平等の訳はequalityになります。

この両者の違いは、これからの社会の在り方、組織の在り方を考える上で極めて重要な意味をもっていると思われます。

 日本ではどちらかと言えば「平等」のほうが分かりやすく、受け入れやすい概念ではないでしょうか。

たとえば昭和の高度成長を支えた組織の年功序列は、入社年次に合わせて平等に処遇していこうという考え方ですよね。業績が良ければ良いなりに、悪ければ悪いなりにボーナスも横並び。また社員教育における階層別研修は、同等のポジションにいる人々に共通で同じ研修を提供するもので、これも平等の発想でしょう。

 90年代までみられた国が経営体力のない企業に合わせて業界全体を支援する“護送船団方式”は、産業界(特に金融業界)に対する平等な支援策でした。

 平等それ自体が本質的に悪いわけではありませんが、あまりに行き過ぎると「何でも一緒、差をつけることは悪いこと」という状態になります。それはいっけん人を大切にしているようでいながら、ほんとうは一人一人の可能性と真剣に向き合うことを避けているだけではないでしょうか。

 “平等”な運動会と“公平”な赤坂ミニマラソン

“平等”な運動会と“公平”な赤坂ミニマラソン

 以前、小学校の運動会で順位をつけることが問題視され、みんなで一緒にゴールする徒競走の話を聞いたことがあります。あれは足の速い子も遅い子も、みんな一緒に楽しみましょうという、あまりに極端な平等の発想に思えてなりません。

 社会に出ればそんなことはないかというと、必ずしもそうとは言えません。前述したような平等の処遇や研修機会は、キャリアを経るにしたがって明らかになる個々の特性の違いや成長度合いの違いの軽視につながります。

そのことが主体的に学んで成長すること、自ら仕事をつくりだそうとする人に冷や水を浴びせて足を引っ張る場合もあります。逆に個人的な事情で前に進めない状態にある人に適切な支援があればよいところを、それがないために潰れていく場合もあります。

では「公平」とは何を意味するのでしょう。先に挙げた運動会と対比させて、TBSが番組の改変期に放映している『オールスター感謝祭』の赤坂ミニマラソンを思い浮かべると分かりやすいと思います。

あの企画では出場者のキャリアや体力に応じてハンデがつけられています。あれは誰もが全力で競えるように公平な環境を用意しているわけですね。

平等に扱っても活躍しやすい人、しにくい人が出たら公平ではない

 これをビジネスの組織に置き換えてみましょう。

ある企業が多様性を意識して女性の比率を高めたとします。さらに管理職の比率も高めないと多様性の面で評価されないと考えた経営者は、今年の管理職登用において男女比率を五分五分にしました。

 これらは等しく同じように処遇する平等の発想です。

これに対して公平であるということは、性別がどうであるかに関わりなく、その人の適性や能力の発揮レベルを見極めて処遇することです。

ただし日本の社会では女性がほんらい持っている能力を発揮しにくい環境が残っています。家庭との両立に関する職場の意識や慣習、色濃く残る“男性社会”の影響で相談相手が限られる問題など、障害があれば対処することは公平であるための大事な措置です。

 一人一人のユニークさを活かすのが公平なマネジメント

 多様性を高めるということは、様々な異なる事情を抱える人々を受け入れることです。

異なる事情の背景には価値観の違い、優先順位の違い、行動特性の違いなどが横たわっています。違いの一つひとつは、これまで画一的だった社会と会社においては容易に摩擦要因となります。

 この摩擦を和らげるために2つの方向性があります。最大公約数をとって同じように扱う平等のベクトルと、それぞれのユニークさを見出し尊重しながら活かしていく公平のベクトルです。

 両者のうち、どちらがコーチングの価値観に合っているかといえば、私は明らかに公平のベクトルだと思います。足の速い子も遅い子も一緒に手をつないでゴールする生ぬるい運動会ではなく、スペシャルゲストのトップアスリートから体力のない芸能人まで全員が必至で走る赤坂ミニマラソンです。

平等を追求するよりも公平を追求するコミュニケーションは難しい

労働力人口が減っていく日本社会において、海外からの採用も含めて多様な人々が活躍できる環境をつくっていくことは必須課題です。

しかし多様性はそれだけで組織力を高めるものではなく、それぞれが活躍できる環境を整えることが重要です。そうした環境づくりの根幹になるのが公平性であり、それこそが日本の社会をアップデートするために欠かせないことだと思うのです。

あなたの能力が十分に発揮できるように、できるだけ環境を整えます。ですから思う存分に活躍してください。それを私たちは支援します・・・というのが公平性を重んじる姿勢。

ここから公平性=エクイティにもとづく組織マネジメントの方向性と課題を、組織の実情に合わせて見ていく必要があります。

子育てをしながら基幹職として働いているメンバー、海外からやってきた日本語で仕事をすることに不慣れなメンバー、シニア採用で少し体力的に不安のあるメンバー。

能力も経験値も今の望みも多様な人々を等しく受け入れ、等しく処遇しようとするなら、それは平等性を重んじた考え方でしょう。みんながこうなのだから、あなたもこう・・・という発想です。一見するかぎりでは、波風の立ちにくい環境と思えるのかもしれません。

 一方、それぞれが水を得た魚のように活躍できる仕事や勤務形態を考えるのが公平な在り方です。それを突き詰めていけば、ポジションや賃金に違いは出てくるはずです。

それぞれの違いについて納得性を得るためには、対話を通した信頼の醸成が必要です。だから公平性を重んじる組織にはコーチングと質の高い日常のコミュニケーションが欠かせなくなります。

公平な組織づくりの時代はコーチの出番

公平な組織づくりの時代はコーチの出番

社会の趨勢である多様性=ダイバーシティは、公平性=エクイティと掛け合わせって掛け算の力が生まれると言われています。多様なメンバーは公平性によって包摂され、文字通りインクルーシブな状態になります。こうしてDE&Iが揃うのです。

今までどこか日本の社会や会社には、とりあえずみんな一緒にしておけば(あまり差をつけなければ)丸く収まるから、という甘えがなかったでしょうか。右肩上がりの時代には通用した(場合によっては強みでもあった)あり方は、もはや通用しません。

どこを切っても同じ顔の金太郎飴で組織を収めるのではなく、どこを切っても違う顔が飛び出す組織づくり。

それは経営者にも管理職にも、また働く一人ひとりにも快適ゾーンから抜け出す勇気を要求することかもしれません。

だからこそコーチやコーチングを活用するマネジメント職の出番があちこちに待ち受けているのだと思います。

 MBCCファウンダー 吉田典生