Mindfulness Based Coach Camp 典生人語

コーチング3つの学び方

MBCC事務局 投稿者:MBCC事務局 カテゴリー:典生人語

コーチング3つの学び方

今すぐ誰かをコーチせよ

 コーチングを学び始めた頃、アメリカから来日していたコーチが1000名を超える参加者に問いかけました。

プロフェッショナルのコーチになりたいと思っている人?

控えめな日本人の習性とコーチングの認知度が低かったわりには、手を挙げた人が多かったような記憶があります。もちろん私も手を挙げていました。

そして彼は、おそらく挙手した人たちだけに向けて次のように言いました。

「プロを目指すのなら、3つのことを同時にはじめよう。1つはコーチングを体系的に学ぶ。2つめは、きょうからコーチを自分につける。3つめは、きょうから誰かをコーチする」

「ほら、こんなにたくさんの人が集まっているのだから、お互いに声をかけあって今すぐはじめよう」

正直このときは、いかにもアメリカ的な煽り方だなあと思いました。ちょっと洗脳的で、へたすると誤解されるよ、とも。私は出版業界に身を置いて企業組織やビジネスの取材をしていたので、そのあたりは醒めた眼で観るほうでした。

体系的に学ぶ。これは直感的にわかるし、すでに始めていました。コーチをつける。これもわかるけど、〇〇社や〇〇社に近い人たちの営業支援じゃねえの? コーチする。いやそれって練習ならわかるけど。

初っ端はそう思い、どこか斜に構えたところはキープしつつも、約一か月後には2つめと3つめをはじめていました。

さすがに今ここで・・・というノリには乗れなかった笑 あ、それとコーチする・・・のほうは、無料。コーチされるほうは、たしか月2回で3万円だったかな。

ほんとうに必要なことは直感に反していた

 今ふりかえれば、コーチングを受けること、誰かをコーチすること、この2つがなければ、体系的な学びは価値をもたらさなかったとわかります。

信頼のおけるプロからコーチングされることには、2つの意味があります。

(1)自分が体系的に学んでいる考え方や技法が、実際どのように実践されていくかを経験する・・・体系的な学習のピースが再結合されます。

(2)自分が体系的に学んでいることの目的や、目的に沿った行動を意識しつづける・・・体系的な学習それ自体に満足し、受け身でいることは許されなくなります。

あの当時、「今すぐコーチを探しましょう」「今すぐクライアントをみつけましょう」というメッセージが、どのような倫理や意図から強調されていたか、今となっては知る由もありません。

とんでもないなんちゃってコーチにひっかかる危険性はあったし、セールストーク全開の輩に辟易とさせられたこともあるし、いきなり商売っ気を丸出しにして自分が困った人になってしまうことだって、考えられたわけです。

しかしメッセージの源に何があったにせよ、「3つのこと」が同時に、しかも継続的にされてこそ、コーチングの学びになることは確かです。(もちろん中断や小休止があってもまったく問題はなく、むしろそれはそれで健全なことだと思いますが)

すぐに誰かをコーチする・・・それによって、体系的に学んだはずが実際はできない、という現実、理論どおりにはいかない戸惑いが必ず現れます。しかし体系的な学習は、それを織り込んでいるからこそ体系的、なのです。試して玉砕することによって、それが次の体系的な学習の生きた材料として取り込まれて、学びが加速していきます。

もちろんインターンレベルとはいえ対人支援に関わる以上、基本的な倫理を遵守しなくてはなりません。これもまた、体系的な学びの一つです。

MBCC という体系的なプログラムをスタートした2016年には、これら「3つのこと」を揃えることだ大事だと、当然ながら理解していました。

しかし自分の経験から、コーチングにつきまとううさん臭さのようなものを発して誤解されたくない、という自己抑制が働きました。結果として、「3つのことを同時に」というメッセージは、強く届くものにはなりませんでした。

他方、いまMBCCを支えているプロフェッショナルコーチたちは、私の自己抑制などお構いなしに「3つのことを同時に」してきた者たちです。私がそうであったように(今もですが)、それは当たり前のことでした。

言語がなければ多数には届かない

 体系的な学びには費用がかかります。さらに自分のコーチをつけるとなれば、また費用がかかります。しかしその費用をかけて体系的な学びを個人の経験のなかで再生していかないと、学びがキャリアにおいて結実することはないでしょう。

一方で私たちが覚悟を決めて取り組まないといけないのは、プロフェッショナルを目指す人へのメンタリング的なコーチングの質を劇的に高めることです。

例えば相撲の世界で、学生相撲出身者は他の新弟子とは違う番付からスタートします。同じ入門でも基盤がまったく違うからです。

そのように分かりやすくはないけれど、プロフェッショナルを目指す前提でコーチングの基盤をみると、やはり人それぞれ出発点が違います。人によっては、ものすごく丁寧に個別対応で順序立てて学習を補う必要があります。

これからMBCCでは、プロを目指すとはどういうことか、プロを目指さずコーチングを活用するとはどういうことか、それぞれの違い、それぞれに必要なことを、一人ひとりと向き合いながら共有していくつもりです。本人の期待値と達成できる可能性、こちらが提供できること、そこにかかる費用、場合によっては、本人の意向に反する別の選択肢を提案することも、必要になってくるかもしれません。

コーチングを100年後の世界に遺すためには、国際コーチング連盟の審査プロセスの一翼を担っていることを特権にして、がんばって受講してくれたから「はい、どうぞ」と技能水準を安易に認めるわけにはいきません。

それはものすごく楽な方法で、世の中にはコーチングの資格を欲しい人がたくさんいるのは重々承知しています。しかし私たちは母体であるMiLIとしてのマインドフルネスプログラムも同じですが、自分たちでコントロールできる認定を一切用意していません。

この先、それこそ100年後の世界に向けて、MBCCとしての認定が必要だと判断するときが絶対にこない、とは言い切れません。しかしそのときは、MBCC(ひいてはMiLI)という私的組織の枠を超えた公益性を担保する母体が必要になるでしょう。ですから、やはりそれはMBCC認定ではありません。そう、まさにICFがそうやって生まれたように。

 そして「3つのこと」プラスアルファ

体系的に学び、コーチをつけ、機会をみつけてコーチングしつづける(有料か無料かは問わず)。それを実行したらプロフェッショナルへの道が拓けるかといえば、そうではありません。あくまで「3つのこと」は、基本中の基本です。

コーチングはしっかり身につければ再現性の高い対話の手法である一方、個別対応という原則があります。ツール(手法)をどう使うか、使わないか、打ち手が見つからない場合にどうするかなど、プロフェッショナルの力量は汎用的なツール(手法)の向こうで測られます。

コーチングのグローバル調査をみると、欧米のコーチは心理学の修士や博士号を持つ人、MBAなど、高度な専門教育を修了している人の割合が、アジア圏よりかなり高いようです。もちろん院卒だから、博士だから優れたコーチ、ということではありません。

ただ本質的に重要なことは、実学であるコーチングを支える引き出しを、どのくらい備えているかということ。その引き出しが人の多様性、人と組織、人と社会の複雑な課題を扱うのに必要な理路を導くリソースになります。

例えば、明確に自分のビジョンを語るアントレプレナーが、コーチングを受けたいと言って訪れたとします。

エネルギッシュな彼は、取るべき行動、次のアイディア、問題点などを次々に口にします。とても積極的なので、一定のコーチングスキルを身につけていれば会話が弾むでしょう。しかし、もしも彼の描いていることと、現実社会がかけ離れたものだったら。

世界が見えていない野心家。あくまで一例ですが、コーチング的な会話がいっけん盛り上がる典型です。

このようなクライアントを相手にする場合、コーチには社会情勢や経済、ビジネスシーン、場合によっては金融などに関する、一定水準の知識が必要かもしれません(相手に教えるためにではなく、相手にとって必要な対話のプロセスを支援するために)。

発達理論に精通していれば、彼の視野に入っていないことに目を向ける必要性に気づくかもしれません。さらに、その大切な核心部分と対峙するには、まだ彼が成熟しておらず、今ここで扱うべきではない、という見立てもできるでしょう。

コーチは万能的に何でも知っている必要がある、ということではありません。それぞれのバックグラウンド、経験、複数の要素が組み合わさったところから生まれるオリジナリティ。コーチングそのものではないところにある要素が、プロフェッショナルコーチとしての基盤と特性につながってきます。そして、これを自分が扱うのは適切ではない、という自己認識を持つことも、プロとして重要なことなのです。

コーチングを学んでいくということは、今までの自分と向き合うことであり、いかに今までの自分と統合していくか、ということでもあります。

「3つのこと」は提示できるけど、プラスアルファはそれぞれの世界。未だ発掘されていない一人ひとりの多様な可能性に、目を向けながら進んでいきたいと思います。

 MBCCファウンダー 吉田典生