切腹が美徳の社会に住んでいるクライアントが責任を取るとしたら?
妙なタイトルですみません。
これは、先日の山田ゼミ(倫理規定とコア・コンピテンシーを学ぶMBCC内のゼミ)でのMiyuさんの発言です。
あなたがコーチだったとして考えてみてください。
切腹が美徳とされる村(切腹村)在住のAさんがあなたのクライアントだとしましょう。
Aさんがリーダーのプロジェクトが失敗し、勤務先に大きな損失を出してしまいました。
Aさんは事の重大さを鑑み、自分は切腹して会社に詫びる、と言っています。
コーチのあなたはどうしますか?
「それはいい考えですね。潔い責任の取り方だと思います!では、そのために何について話していきますか?」と同意してコーチングを進めますか?
…さすがにそれはない!と思ったあなた。
なぜそう思いましたか?
コーチはクライアントの話を信じ、クライアントの望むゴールに向かうのでは? それなのになぜ「それはない」なのですか?
「それはない」なら、どんな話の進め方をしますか?
私(関口)も「それはない」と思います。人間の生命がかかっているからです。
ICFのコア・バリューズの「ヒューマニティ」、特に人権の部分に抵触するのでは?と思います(実際、山田ゼミでMさんがこの話をしたのはまさにその部分でした)。
もう少し考えてみましょう。
Aさんは切腹村に住んでいます。
切腹村の人にとっては、Aさんは「大きな問題を起こしたのに(切腹で)責任を取らなかった人」です。
Aさん、切腹村では非常に肩身の狭い思いをするかもしれません。
場合によっては「Aにけじめをつけさせてやろう」と善意で切腹させようとする人が出てくるかもしれません。
Aさん本人にとっても「自分は責任を取らずに逃げた」とずっと苦しみ続けるかもしれません。
「周囲の人なんて関係ない」
「Aさんの認識が切腹村というごく狭い社会の中でだけ通じるもので間違っている」
と言ったところで、これらの現実は変わらないです。
コーチのあなた(私)がいる社会とAさんやAさん在住の切腹村では正義や倫理観が違うからです。
そりゃそうだけど関口さん、いくらなんでも切腹村はないだろう、と思っているあなた。
これ、切腹を退職、切腹村をAさんが新卒から勤め続けている企業、に変えてみたら、さて、どうでしょう?
退職云々まで行かなくても、残業することの可否、ジェンダー、人種など、互いの正義や常識の違いによる「えっ?こんなことやる(言う)の?」経験、増えていませんか?
生まれた土地から離れずに一生その地で生活し、通信手段も限られていた時代ならほとんど起きなかった摩擦かもしれません。
特に日本は言語と民族特性から、諸外国に比べ「同質社会」と無意識で信じてきたように思います。
しかし、人も情報も動きがどんどん加速し、違う価値観の情報や違う価値観で生きる人が身近になった社会に生きる私たち。
そんな世界の中でコーチングという、人の意思決定や思想・思考に関わる仕事をするということは、規制やルールが追い付かない中で仕事をする、ということでもあります。
規制やルールがない社会では、個人の倫理観と組織の倫理規定から考え判断して進んでいくことが求められるのです。
だからこそ、コーチ1人1人の倫理観、コーチ団体としての倫理規定が、今、非常に求められている。私はそう思います。
(MBCCコーチ・トレーナー:関口詩乃)
P.S.
MBCCが今なぜ世界基準の倫理の話をしようとしているのか、その理由を私なりに言語化してみました。
(Miyuさん、お名前掲載込みの発言の使用許可、ありがとうございます!)
自分から遠い高尚な話ではなく、多様な価値観の社会でコーチはどう進んでいくのか、ということを一緒に考えてみませんか?
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