Mindfulness Based Coach Camp 典生人語

その問いは誰のもの?

吉田典生 投稿者:吉田典生 カテゴリー:典生人語

その問いは誰のもの?

勉強のできる子と、できない子の違いについて、発達心理学の先駆者であるアン・ブラウン1943-1999)が、こんな指摘をしています。

「できる子は読んでいる内容について質問したり、次に何が起こるかを予測したり、自分の理解や解釈をふりかえっている。一方、勉強の苦手は子は、読書のプロセスでこうした思考が身についていない」

これは私たちMBCCが提携するRight Question Institute(米国・マサチューセッツ)が開発した、質問づくりの考え方ーQuestion Formulation Technique―を紹介している本『たった一つを変えるだけ』(ダン・ロスステイン、ルース・サンタナ著 新評論 吉田新一郎訳) から要約、引用したものです。

できる子が最初から答えを知っているわけではないのは当然で、できない子との違いは、適切な問いを見つけ出せるか否か、発問力にあるということです。

適切な問いを立てる力「発問力」が注目されている

先行きが不透明で正解を見出せない時代になっている、という認識が広がっている今、問う力は大人の学び、ビジネスのトレーニング領域でも注目されています。

考えてみれば、これは今に始まったことではありません。公案における禅師や問答法を駆使したソクラテスの文献をたどれば、問いは常に人間の知的活動のなかに息づいてきました。さらに共通するのは、問いの主導権が教える側、育てる側、率いる側にあることです。

良い質問をすることで、質問された相手(教師であれば生徒、上司であれば部下、コーチであればクライアント・・・など)の成長や目標達成を支援する。コーチングでは質問は不可欠のスキルとされ、おそらく世界中どこのコーチングスクールでも、様々な角度から質問のスキルを教えています。

しかし冒頭にご紹介したアン・ブラウンは、「良い質問をしてくれる誰か」を問題にはしていません。問いを自分の中から生み出せるかどうかを問題にしているのです。

前述のQuestion Formulation Techniqueは、学ぶ者が自ら問いを見つけ出していく学習プログラムです(そう、答えではなく)。

その存在を米国におけるコーチングの国際カンファレンスで知ったとき、私の脳の中に、これだ!という閃光が走りました。MBCCが探求しているのはこれだ!という。

禅の公案やソクラテス式問答法も、実際その本質は、問いを投げかけられた側が、その問いを本当に自分のものにすることにあると私は考えています。

たとえば娘が小さかったころ、「仕事っておもしろい?」と聞かれたことがあります。とても忙しくて帰るのが遅い父の様子を見ての質問だったと思いますが、そのとき嘘偽りなく「うん、とってもおもしろいよ、つかれるけどね・・・」と答えた記憶があります。

今も私の記憶に残っているということは、唐突に投げかけられた問いが、我を顧みる小さな契機となり、自分の中で再生されたからだと思います。そして今でもたまに、幼い娘にされた質問を自分に投げかけ、瞬間セルフコーチングしています。

ふたたびアン・ブラウンの指摘にもどります。

勉強のできる子は、読書をしながら「知らないこと」と出会っているのです。問いが自分の中から生まれるとは、そういうことです。

自分自身の問いに出会う

自分自身の問いに出会う

これから私たちが前例を踏襲できない世界を生きていく過程で、すぐに正解を導き出すことは容易ではなく、それでも正解に飛びつこうとすることは危険でさえあります。今後、教師が生徒に、上司が部下に、コーチがクライアントに対して、特定の正解や良い回答を期待して優れた質問をする技術は、あまり重要ではなくなるかもしれません。

少なくとも、相手のために「質問力を磨く」という発想には限界があります。何が本当に相手のためになる質問かは、本人の感覚の中でしか分からないからです。

マインドフルコーチングにおけるコーチの質問力とは、人生の当事者としてクライアントが自分自身の問いに出会うためにあるもの。コーチは特定の正解や模範解答など期待していないし、ときには相手が何を言っているかわからなくてもかまいません。今この場に立ち現れているダイナミズムを、マインドフルに知覚することは欠かせないけれど。

MBCCファウンダー 吉田典生