ウェルビーイング経営の基盤となるコーチングの対話
近年、耳にすることが増えた「ウェルビーイング(Well-being)」。抽象的な概念ですが、ウェルビーイング研究が進んだことや社会的なトレンドもあり、今では職場においてもウェルビーイングが非常に重要視されています。リモートワークや育児休暇などの拡大、メンタルヘルスサポート、健康アプリの導入などは、その取り組みの一例でもあります。しかし、現状では「働きやすさ」や「健康促進」についての取り組みが多く(もちろん、それ自体は悪いことではありませんが)、今後はさらに「働きがい」や「自己実現」につながるような施策が求められている、という見解もあります。
ウェルビーイング経営の成功の「鍵」・・・それは、流行を追うことよりも従業員が本当に求めていることを把握して共通認識を持つことからスタートするのではないでしょうか。本コラムでは、職場でのウェルビーイングを加速していく一つの方法として、コーチングによる「対話」の活用を紹介していきます。
ウェルビーイングとは・・・
「ウェルビーイング」とは、身体的・精神的・社会的に良好な状態のことです。それは、単に身体が健康であるだけではなく、メンタル面も安定してバランスが取れていることや社会的なつながり、仕事の充実なども含まれています。すなわち、私たちが良い状態で生活を送るための重要な指標とも言えます。
ウェルビーイングという言葉が最初に明記されたのは、世界保健機関(WHO)設立時(1946年)に制定された「WHO憲章」ですが、近年では、SDGsの「すべての人に健康と福祉を(Good Health and Well-being)」に組み込まれたことで、より身近な言葉として広まりました。そこから様々な社会の側面に波及していく中で、ビジネスシーンにおいてもウェルビーイングに関心が寄せられています。
ここでは特にビジネスに関連してくるウェルビーイングの考え方について、アメリカのギャラップ社が導き出した5つの要素について抑えておきます。
1. キャリアウェルビーイング(Career Well-being)
働き方やライフスタイルなど、自分のキャリア(ここでいうキャリアは、単に仕事だけではなく、社会活動・家事・育児・勉強なども含みます)が良好な状態にあるかどうかを表します。よい時間の使い方ができている、また好きな仕事、関心のある仕事や活動に従事できていることで高まります。
2. ソーシャルウェルビーイング(Social Well-being)
良好な人間関係が築けているかどうかを表します。信頼でき愛情のつながりのある人間関係の有無がポイントとなります。ビジネスの側面から見ると、上司や部下、同僚などとの関係性を指します。
3. フィナンシャルウェルビーイング(Financial Well-being)
経済的に良好な状態にあるかどうかを示しています。報酬を得る手段があるのか、報酬に納得しているのか、適切に資産管理ができているのか、などが該当します。
4. フィジカルウェルビーイング(Physical Well-being)
心身の健康状態を表す要素のことです。心身ともに健康で、毎日思ったように行動できるエネルギーがあるかどうかが基準となります。ビジネスシーンでは、仕事に対するモチベーションもエッセンスの一つとして考えられています。
5. コミュニティウェルビーイング(Community Well-being)
自分の周りにあるコミュニティ、つまり家族、友達、地域社会、会社や職場などとのつながりが良好かどうかを表す要素です。人は、所属するコミュニティや組織とよい関係が築けていると心が満たされます。
ウェルビーイング経営が注目されている理由
ウェルビーイング経営が注目されている理由は、企業が単に利益を追求するだけではなく、従業員の幸福や健康を重視することで、組織全体の生産性や創造性が向上し、企業文化の改善や社員のエンゲージメントの向上につながるといった多くのポジティブな成果が期待できるからです。特に近年、柔軟な働き方や企業の社会的責任(CSR: Corporate Social Responsibility)の重要性が増していることや、新型コロナウイルスによるパンデミックの経験から価値観や働き方の変化があったことなども影響しています。
職場におけるウェルビーイングの効果については、多くの研究が行われていますが、下記が現在分かっている代表的なメリットになります。
<ウェルビーイング促進による職場でのメリット>
- 生産性とパフォーマンスの向上
- 従業員のエンゲージメントの向上
- 人材の確保(人材流出や離職を減らす)
- 企業ブランド力の向上
- 創造性やイノベーションの促進
- ストレス軽減と健康促進
- 職場のコミュニケーションとチームワークの改善
コーチングがウェルビーイング経営にどう役立つのか?
コーチングはウェルビーイング経営において非常に効果的なツールとなり得ると考えます。企業が目指すウェルビーイング経営は、まだまだ発展途上の取り組みです。既に様々な施策が行われていますが、もちろん全てがスムーズにいくわけではありません。課題もあり試行錯誤をしている企業が多いのが現状です。
ウェルビーイング経営は、従業員の心身の健康、仕事の満足度、社会的なつながりを重視し、企業の持続可能な成長を支えるための総合的なアプローチです。コーチングは、これを実現するための良質な「対話の場」をつくることに長けていると言えるでしょう。以下に、コーチングのどの要素がウェルビーイング経営に役立つのかを、代表的な3つの要素について掘り下げて解説していきます。
1,自己認識の促進
コーチングは、自己認識を深めるためのとても効果的な方法の一つです。ウェルビーイング経営において、従業員が自分の感情やストレスレベル、身体的・精神的な健康状態を理解することはとても重要です。自己認識を高めることで、自分の感情、思考、行動パターンを理解し、より良い選択をするための土台を築くことができるからです。
また、自己認識は他者との関係にも影響しています。自分の思考や行動の傾向、価値観、感情を理解することにより、他者の意見や感情に対しても敏感に反応できるようになるとも言われています。すなわち、自己認識を通して自己理解が深まることで、他者への共感や適切なコミュニケーションの助けともなり、職場や家庭での良好な人間関係を後押ししていく効果も期待できるのです。
前述したギャラップ社の5つの側面で言えば、特にフィジカルウェルビーイングやソーシャルウェルビーイング、そしてキャリアウェルビーイングの改善に役立つと考えられます。
自己認識がなければ、自分の可能性を最大限に発揮することも何が自分を幸せにするかも分かりません。幸いなことに、自分自身についてもっと知ることや、軌道修正するのに遅すぎるということはありません。確かに努力は必要ですが、手に入れる価値のあるものは何でもそうなのです。
Without self-awareness, you won’t be able to realize your full potential or even know what will make you happy. Fortunately, it’s never too late to learn more about yourself or change course. Yes, it takes work, but so does anything worth having.Why Self-Awareness Is Essential For Career Success(キャリアの成功には自己認識が不可欠である理由)- Forbes より抜粋
2,目標設定とモチベーションの向上
コーチングでは、実現可能な目標を設定し、達成を目指して取り組みます。従業員が自分の目標を達成する過程で感じる充実感や達成感は、モチベーションや自己肯定感の向上と直結していきます。モチベーションは全ての行動の原動力となり、行動や思考にポジティブな変化をもたらすことが期待できます。
また、目標を持つことで、「自分は何のために努力しているのか」という目的意識が生まれます。目的が明確になることで、日々の生活や仕事に対する意義を感じやすくなり、人生に対する積極的な姿勢が育まれる傾向があります。さらに私達は目的を持っているときに困難や逆境に直面しても、目的の無い時に比べて前向きに取り組むことができ、精神的なレジリエンス(回復力)が向上するとも言われています。
ビジネスシーンにおいて目標を設定し積極的に取り組んでいくことは、キャリアウェルビーイングを支える大きな基盤となるでしょう。またキャリアに対する自己効力感があれば、経済面の向上も期待できることから、フィナンシャルウェルビーイングを満たしていく効果もあるのではないでしょうか。
目標とそれを達成するための計画がなければ、あなたは目的地をもたない出航した船のようなものです。— フィッツヒュー・ドッドソン(アメリカの臨床心理学者)
Without goals, and plans to reach them, you are like a ship that has set sail with no destination. — Fitzhugh Dodson
3,コミュニケーションスキルの向上
コーチングはコーチが一方的に指導するものではなく、コーチからの質問やフィードバックなどにより、クライアント(職場の場合は従業員)が自ら気づき、内省や行動を繰り返すことで変化、成長していくプロセスです。その過程において、クライアントは、コーチが体現している傾聴、質問、フィードバックなどのコミュニケーションスキルを実体験で学ぶことにもなります。
また、コーチングを通して自分の感情に敏感になることは、感情をより管理できるようになるために不可欠なものです。感情を適切に扱うことは、他者との建設的なコミュニケーションにとても役立ちます。このように、他者とより良い対話を行うベースとなるスキルが高まることで、人間関係が円滑になり、信頼関係やチームワークにつながることが期待できます。
自分自身及び他者とのコミュニケーションの両者が改善されることは、ウェルビーイングの全ての側面においてプラスの効果を発揮していきます。
コーチングは、安全で支援的な環境で個人が目標を明確にし、それを達成するための変革的な経験です。目標は人によって異なりますが、2022 年の ICF 世界消費者意識調査で明らかになった個人がコーチングを契約する主な 3 つの理由は、コミュニケーションスキルの向上 (37%)、健康的なワークライフバランスの構築 (35%)、自尊心/自信の向上 (35%) です。
Coaching is a transformative experience that helps individuals identify and achieve their goals in a safe and supportive environment. While goals vary from person to person, the top three reasons why individuals enter into a coaching relationship, as identified by the 2022 ICF Global Consumer Awareness Study, are to improve communication skills (37%), to develop a healthy work-life balance (35%), and to increase self-esteem/self-confidence (35%).
ウェルビーイングと経済成長をつなぐ「自己実現」要素
ビジネスにおいて、労働人口の減少やGDPの停滞といった日本特有の課題がある中で、もしかしたらウェルビーイングに注力することが難しい、または優先できないと考えられてしまう可能性があります。しかし、「自己実現」要素が高まることで、ウェルビーイングと経済成長の両者を同時に後押しできる可能性があると、ボストンコンサルティンググループの調査レポート(自己実現を基軸としたウェルビーイング経営―日本の20~40代の現状を踏まえて)で言及されています。
インタビュー調査の結果、基本的資源や暮らしの基盤が充足し、一定のウェルビーイングを実現している人の中では、「やりたいことができているか」「ありたい姿を描けているか」に対し肯定的に回答するなど、自己実現の要素の充足度が、幸福を感じる度合いと強い関連があることが分かった。また、例えば望んだ仕事に就き、やりがいを持って取り組むことは、生産性・パフォーマンスとも関わりが深いと考えられ、自己実現の充足度はウェルビーイングと経済成長をつなぐ重要な架け橋になりうる。このことから、私たちはこの項目を最も重視している。
では、どのように「自己実現」要素を高めるのかと言えば、前項で述べたコーチングの要素「自己認識の促進」、「目標設定とモチベーションの向上」、「コミュニケーションスキルの向上」がまさにベースになっていきます。
自己実現とは、自分のもつ潜在能力や可能性を最大限に引き出し、自分が本当に望む生き方や目標を達成することを指します。これは心理学者アブラハム・マズロー(Abraham Maslow)が提唱した欲求5段階説の最上位の段階として知られていますが、コーチングはまさに、自己実現に向けてクライアントをサポートするためのアプローチです。そのため、ビジネスの場において、従業員をリードする管理職や経営層がコーチングを活用し、従業員の自己実現をサポートしていく対話ができるかどうかは、職場でのウェルビーイングにおいて、とても大きなインパクトとなります。
従来、管理職は、会社のルールや前例を踏まえタスクで指示を出し管理するマネジャー型が主流だった。しかし今後、従業員が自律的に考え自己実現をかなえる環境を整備するためには、「心」、つまり従業員のありたい姿を踏まえて成功に導くためにコーチング・サポートをすることが重要になる。そのうえで、前例にとらわれず大きな方向性や新しいアイデアを提示する「頭」、組織のビジョンを浸透させ、チームワークを高める職場環境を整えるための「手」を持つのが今後のリーダーのあるべき姿であるといえよう。
メンバーの自己実現をサポートできるようリーダーの行動を変容させ、その「心」「手」の在り方を仕組みとして組織に取り入れるうえでは、メンバーの目標の明確化と、それを踏まえた成果の把握、コーチングをどう実現していくかが重要だ。
コーチングの柔軟性と未来思考
コーチングの対話は、とても柔軟なものです。コーチは、クライアントの多様なニーズ、状況、成長プロセス、目標などに対応するために、適切なアプローチを適宜選択して調整する必要があり、そのための学習をしています。この柔軟性のある対話は、コーチがクライアントの成長や自己実現を効果的に支援するために必要なものであり、クライアントが自身の課題に対処し、前向きな変化を遂げていくための強力なサポートとなるものです。
ウェルビーイングの捉え方は、人により異なり時代や状況によっても変化するものだと考えると、その実現へのアプローチも一定の決まったものではなく、柔軟性が不可欠なことは明確です。個別対応や個の尊重を得意とするコーチングが職場に根づくこと、すなわち、企業のリーダーや管理職、キーパーソンがコーチングスキルを身に付けて実践していくことは、予測不可能で多様な問題に柔軟に対処しながら職場のウェルビーイングを促進していく基盤となることに大きな期待が持てるのではないでしょうか。
4. コーチングが変革を導く: 未来への示唆
コーチングは職場のウェルビーイングの未来に大きな影響を与える可能性があります。職場でのコーチングの有効性に関する研究は続いていますが、下記のような将来への潜在的な可能性がいくつかあります。
- リーダーは耳を傾けています。コーチングセッションのデータによると、リーダーはチームを効果的に導くために、ウェルビーイング、セルフケア、共感を優先しています。
- 職場でのコーチングは従業員の人材開発を促進するために有効であり、社内コーチの方が効果的であることが証明されています。
- コーチングは、仕事への満足度と定着率を高め、よりパフォーマンスの高い組織づくりに役立ちます。
- コーチングとウェルビーイングやメンタルヘルスのメリットと統合することで、これらのメリットをより有意義に活用してクライアントの成長につなげることができます。
- コーチは、従業員の燃え尽き症候群を防ぐために、個人的な願望と仕事上の願望を調節する手助けをすることができます。
MBCCリサーチ担当 今村佳未
<参考文献・書籍>
- Why Self-Awareness Is Essential For Career Success(キャリアの成功には自己認識が不可欠である理由)- Forbes
- Why Invest in Coaching? (なぜコーチングに投資するのか?)- ICF
- ボストンコンサルティンググループの調査レポート
自己実現を基軸としたウェルビーイング経営―日本の20~40代の現状を踏まえて - The Future of Coaching: Envisioning workplace well-being for a new era(コーチングの未来:新しい時代の職場のウェルビーイングを思い描く) — Global Digital Library — Thought Leadership Institute