Mindfulness Based Coach Camp 典生人語

気候危機に対処するエグゼクティブコーチング~経営層のコーチが知っておくべき2030年という共通のゴールライン~

吉田典生 投稿者:吉田典生 カテゴリー:典生人語

気候危機に対処するエグゼクティブコーチング

ふつうはコーチングで8年後のゴールに向けて会話することは少ないかもしれません。先行きの見通しが立てにくい現在であればなおさらでしょう。

しかし、そのなかでも組織と事業の全体を見通して判断する立場にある経営層との関わりでは、折に触れて少し先の未来を描くことが求められます。そのことと今後の世界とビジネスシーンが見過ごすことのできない気候問題は、コーチングで扱う時間軸という点で重なり合ってきます。

そこでキーワードは、“これからの8年間”です。気候科学の観点からみると、2030年が人類の共有するべき共通の“スモールステップ”とされているからです。

本稿では、なぜ2030年がスモールステップとしてのゴールラインなのか、そのゴールに向けたエグゼクティブコーチングの貢献について探っていきます。

複雑な気候問題のシンプルな基本を押さえる

 日本のビジネスリーダーのなかで気候問題についてのリテラシーが十分にある人は、率直に言って少ないと思います。

エグゼクティブコーチは初めてコーチングの関係を築こうとする際に「コーチングとはどういうものであるか」を伝えて合意する必要がありますが、それと同じように「気候問題とはどのような問題なのか」の基本的な理解を得る必要があります。

もちろんこういった問題をエグゼクティブコーチングのトピックにする前提の話ですが、これからはいつ何時でもコーチングについて伝えられるのと同じレベルで、気候問題について伝えられるようになることをMBCCでは目指しています。

だからといって科学者や専門家と同じレベルで語れるような知識を求めているわけではありません。これが人類共通の課題であることと、ビジネスセクターの在り方や事業活動にどのような影響が及ぶかを繋げて理解するための基本だけを押さえておけばよいのです。

 MBCCで今年2月からスタートした『気候危機に対処するコーチング』の前半部分では、この“最低限伝えて共有したい知識の落とし込み”に力点を置いています。

それではここからは、この最低限の理解と共有のための眼目を押さえていきましょう。

 

0.4℃を死守せよ

まず0.4℃という数字をインプットしてください。

産業革命前に比べて、大気の温度はおよそ1.1℃上昇したことがわかっています。あと0.4℃プラスされると1.5℃上昇することになります。温度がさらに産業革命前より上昇すると、人間の生存を脅かし生態系や自然環境に大きな影響を及ぼす災害が増えると予測されています。

プラス0.4℃は世界中の人々が何とかまともに暮らせる状態を維持するためのゴールラインなのです。

ただしプラス0.4℃でも影響は拡大します。この原稿を書いている今現在もインドでは50℃近い異常な熱波が押し寄せています。キリバスなど、もはや水没をまぬがれないとされる南の島があることも、かなり知られるようになっていますよね。

ですからあと0.4℃増えれば、そのぶん影響は広がります。それでも何とかここまでに抑えれば、破滅的なことにならない可能性が“60パーセント少々”というのが科学の出している結論です。

産業革命前と比べた温度上昇のリミット

これはもう予測という範疇を超え、結論と言って差し支えないところまで精査された研究の結果なのです。

 0.4℃の意味を押さえたら、次はどのくらいの期間でどのように取り組む必要があるかについての合意事項を押さえておきましょう。

これからの8年間が「決定的な時間」であるという意味

昨年11月のCOP26IPCCの第6次報告書を経た2022年、私たちは決定的な8年間の歩みを始めています。

この決定的な8年間というのは気候問題を考える上での常識ですが、残念ながら日本では周知されているとは言い難い状況です。

地球の大気を温める主たる温室効果ガスである二酸化炭素は、大気中に長期間保存される性質があります。細かくみれば残存期間が短いものもありますが、全体としていちど大気中に排出された二酸化炭素は長きにわたって大気、海洋、地中に残るというのが重要な点です。

さて、0.4℃と決定的な8年間の意味を理解するまで、あと一歩です。ポイントは2つだけ。

  1.  産業革命後に急増してきた温室効果ガスの大半は大気に溜まっている。
  2. 今のままの社会システムだとさらに溜まる温室効果ガスが増えて2030年に限界点を迎える。

    だから温室効果ガス削減の方向へ急速にギアシフトしないと間に合わないのです。

    ではこのような現実をまえに、世界のリーダー層はどのように考えて行動しようとしておるか。日本はどうかをみていきます。

    科学を腹落ちさせた意思決定が求められる

    気候学者や科学に基づく意思決定を重視する国家、グローバル企業などは、ここまで述べたような現実を認識しています。しかし日本の政府や、気候問題の実際を知るための機会が極めて少ない日本人の多くは、決定的な8年間に対する切迫感がありません。

    私はこのギャップに気づくことが、エグゼクティブコーチングと気候問題をつなぐ鍵になると考えます。以下、その理由を説明します。

    これからのビジネスでは財務情報の開示において、事業における炭素排出が不良資産として見なされるようになります。投資家や金融機関が行う企業価値の評価や投資先の決定には、それが大きな影響を及ぼすことになるでしょう。

    まだルール整備は途上ですが、炭素税が課せられる流れも止まることはないでしょう。さらに優秀な人材を採用する上でも、気候問題に関する企業の優位性が問われる動きは既に顕在化しています。

    気候問題はイデオロギーやさまざまな主義主張の問題ではなく、これからの企業の競争力を考える重要なパラメーターなのです。まず、このことを日本のビジネスリーダーは明確に意識する必要があります。(だからこそ、エグゼクティブコーチが知らないわけにはいかない!)

    それはわかっている、日本も取り組みを始めているという反論もあるでしょう。実際に国やメディアからの気候問題への対応についての情報発信は、以前より増えている印象を私ももっていはいます。

    ただ、その情報から読み取っておかなければならない大事なポイントがあります。ビジネスリーダーの判断、意思決定に貢献していく上で欠かせないゴール設定の罠とは。

    遠すぎるゴール設定の罠

    2050年の希望<2030年のリアル

    日本の行政やメディアから出てくる情報では、2030年ではなく2050年の「カーボンニュートラル」=温室効果ガス排出量の実質ゼロを目指した取り組み云々が強調されていることがわかります。

    今まで考えていなかった難問への対処において、8年後に高いゴール設定をするのと28年後にするのとで、クライアントの意識にどんな違いが生まれそうでしょう。

    ふつうに考えれば、28年の猶予期間があれば何とかなりそうな気がしませんか。ここに国を挙げてビジネスの重要な決定をミスリードしてしまう罠が潜んでいます。

    これも基礎知識として、ぜひエグゼクティブコーチが押さえておくべきポイントです。

    日本政府は2050年のゴールを見据えることで、今は実現していない技術が実用化される前提のシナリオを描いています。それは世界では現実的な施策として扱われていない気候工学(いったん放出された温室効果ガスを回収、分離貯蔵して地中に埋め込む技術)の喧伝に現れており、目の前の決定的な取り組みが軽視されている印象を受けます。

    今のところ気候工学は技術面、コスト面、地球環境に及ぼす副作用的なリスク面などさまざまな観点からみて不透明で、それを実際のシナリオに入れようとする日本の姿勢は世界では理解されていません。

    2030年は無理でも2050年くらいまでには技術が進み、それまでに大気中に放出されて溜まっている温室効果ガスを除去できるはずだ…という発想は、非常に恐ろしいものです。

    2030年までのチャレンジを軽視すると、いったんプラス0.4℃を上回る温度上昇がもたらされる可能性が高まります。これをオーバーシュートと呼びます。

    ここで最も懸念されることは、オーバーシュートによって生じると予測される不可逆的な負の連鎖です。

    温度上層が一定レベルを超えると、森林火災や氷に覆われた極地の永久凍土が解けることで放出されるメタンの影響などが相互作用し、気温上昇が一気に加速するのです。そのティッピングポイントがどこにあるか明言はできませんが、プラス0.4℃(産業革命前と比べて1.5℃の上昇以内に抑える)はそのための目安でもあります。

    ほんらい気候問題への取り組みを支援する立場にある大手金融機関が、この期に及んで石炭火力発電の開発に融資する、といったような状況が日本にはあります。これは一例ですが、政治の決断が不十分であることを隠れ蓑にして、ビジネスセクターがほんらいコミットするべき不都合なゴールから目を背けてはならないと私は考えます。

    エグゼクティブコーチングで気候問題に対処するには、クライアントにとって不都合で不快な話題がついて回ることを覚悟しなければならないでしょう。最後は、それについてふれておきます。

    不都合なゴールを直視する

    私の経験から言えば、組織の重要な意思決定を下す立場にあるような人は、多くの場合において自分でゴール設定くらいできます。たとえ悩みながらでも、自分で自分を何とかしていく意思も能力も備えている場合が多いと思います。

    しかし一方で、それがほんとうに適切なゴールであるかは別問題です。決定権をもっており裁量範囲が広いがゆえに、自分が見たくないことからは目を背けて都合よくシナリオを組み立てるリスクがあります。

    ここではビジョンを描く、ゴール設定するといった能力があるということと、たとえそれが適切なものでなくても批判されにくい(耳の痛いことを言ってくる人が少ない可能性がある)という2つの背景を押さえておきたいと思います。

    エグゼクティブコーチングが単なる目標設定と行動促進、進捗管理のフレームワーク的な会話では価値を十分にもたらさず、認知の深い領域にふれることによってはじめて価値を持つのは、このような背景からだと言えます。

    これからのビジネスシーンでは、カーボンプライシング(事業で排出される炭素排出量に応じて課税される)やNDC(国別貢献)の強化などが世界の潮流となってくるなか、あなたのクライアントが世界の潮流と隔絶されたビジネス環境で意思決定を下そうとしていたら。

    気候問題にかぎらずどんな側面においても、コーチはクライアントが認知していない大事なことにアンテナを立てながら会話することを求められます。これは国際コーチング連盟の能力水準にもとづいた必須スキルです。

    コーチングをしていればクライアントがいっけん活き活きと語っているゴールの裏側に、気づいていないか見て見ぬふりをしている不都合なゴールが潜んでいることは珍しくありません。

    脱炭素化で激しく後れを取っている日本のビジネスシーンをどうとらえ、何をどのように判断するか。

    世界の動きに対して、どんなチャレンジを選ぶか。

    選択するべきリスクは何で、回避するべきリスクは何か。

    コーチはクライアントとのセッションで相手に気持ちよくなってもらうために仕事をしているのではありません。特に多くのエグゼクティブは、元気づけや小さな承認のためにコーチを雇ってはいません。

    ときに苦闘し、考えたこともない複雑性に身を投げるところに寄り添い、そこから人と組織、社会の可能性を最大化していくこと。そこにエグゼクティブコーチングの価値が現れてきます。

    国際コーチング連盟がEMCC(ベルギーに本拠地を置く欧州を中心としたコーチング、メンタリング、スーパービジョンの専門組織)などと共同で発表した気候問題への取り組みの声明は、私たちがコーチングという実践の旅をつづける上で必然のことだと言えるでしょう。

     MBCCファウンダー 吉田典生