コーチングとメンタリングを線引きする基準は複数ありますが、それらの区別は2つのアプローチを効果的に融合するために押さえておくべきこと。区別したまま別個のものとして活用していく、ということではない。実はそんな考え方が、従来から欧州にはあります。

一方、米国主導で世界に広がったコーチング教育の枠組みにおいては、コーチングを他の対人支援と明確に区別化してきました。しかし2025年9月に改訂されたICF(国際コーチング連盟)のコンピテンシーをみると、従来からある欧州の考え方に少し近づいた面もあるように感じています。

今回のコラムでは、欧州におけるコーチングとメンタリング教育の第一人者であり研究者でもあるDavid Clutterbuck博士(以下、クラッタ―バック博士)の最新のコラム記事を引用、参照しながら、コーチングの専門性がどのように変化、進化しつつあるかを探っていきます。またそこにメンタリングがどのように関わってくるかを見ていきます。

コーチングとメンタリングの違いとは

まずはこれまでのコーチング教育において、コーチングがメンタリングとどのように区別化されているかを押さえておきましょう。

コーチはクライアントの主体的な探求を支援することを前提に、相手にとって最適のプロセスを共に見出しながら伴走します。エグゼクティブコーチングやビジネス、ライフコーチングで概ね合意されているコーチの役割は、スポーツの指導者としてのコーチのように、指示をして相手やチームを動かしていくコーチ像とは異なります。

またEMCC(欧州メンタリング&コーチング評議会)の創設メンバーでもあるクラッタ―バック博士は、「コーチングは現在の役割におけるパフォーマンスに関するもの」という説明もしています。これは産業界で普及してきたコーチングの観点を主とした見方かもしれません。産業界での実践という意味では、コーチとクライアントが契約して定期的にセッションを行うといった制度的、構造的なものになっている面も強いでしょう。

これに対してメンタリングは、企業でメンター制度のような仕組みを作るケースもありますが、そもそもは個人的なつながりによって成立していることが多いのも特徴です。たとえば私がAさんから、「私のメンターであるBさんが・・・」という話を聞いたとき、そこにはコーチング契約のようなフォーマルな形式はありませんでした。これは新たな対人支援ビジネスとした成長しているコーチングとの大きな違いでしょう。

またメンタリングで何を扱うかについてクラッタ―バック博士は、前述したコーチングとの対比において、「キャリアの自己管理に関すること」と説明しています。そこでメンタリングの場合はコーチングよりもゆるやかにというか、中長期的な関係を結んでいくものであるとも語っています。

ここにICF(国際コーチング連盟)も強調していることを加えると、「メンタリングはメンターの経験にもとづく助言を通して、その道の先輩から支援を受ける」という点で、あくまでも「クライアントのなかにある答えを引き出す」コーチングとは線引きされています。

コーチングとメンタリングを分けることの不自然さ

さて、このようにコーチングとメンタリングを区別したものの、実践する現場からみると、コーチングとメンタリングを分けることは難しいです。「クライアントに助言してはならない」という考え方が強固なあまり、そのコーチ自身もクライアントも不自然で不自由な思いをするケースがあります。

コーチングとメンタリング双方の発展に深く関わってきた欧州のリーダーであるクラッタ―バック博士も、じつは次のように強調しています。

「コーチングとメンタリングの違いを明確に定義することは困難である。その理由のひとつは、両者が大きく状況に左右されるためだ」

状況に左右されるというのは、「コーチング」をしていてもメンタリング的な関与は出てくるし、「メンタリング」をしていてもコーチング的な関与は出てくるということです。コーチングなのだから(メンタリングなのだから)それはするべきではない…と自分を縛ると、前述したような不自然さ、不自由さが生じるということです。

それぞれのアプローチを信じすぎることの危険

コーチングは非指示的なアプローチであり、メンタリングは助言を与えることだと線引きして、コーチングのツールやテクニックを定型的に使うとどうなるでしょう。ある本質的な矛盾をクラッタ―バック博士は指摘します。

「GROW(注:具体的な目標設定と行動促進を意図したコーチングの伝統的な対話モデル)のような定型的な手法に従うコーチングは、メンタリングのオープンな対話よりもはるかに会話の方向性を決定づける」

対話のフレームにクライアントを招いて当てはめていくということは、それ自体がコーチによる誘導になっていく可能性があります。ほんらいコーチングのフレームは、その場の目的と状況に応じて取捨選択され、最適化されるべきものです。それによってはじめて、クライアント中心のアプローチとして活用することができます。

一方メンタリングの場合は、「メンターとメンティの経験の差に依存する」というリスクがあるとクラッタ―バック博士は指摘します。

それだけ聞くと経験を活かした支援なのだから当然のことにも思えますが、ただの経験談や成功体験の押しつけ、一方的な指示になってしまっては、メンティの成長を支援することの障害になるということでしょう。

技法と経験を融合させる

ここでクラッタ―バック博士は、とても興味深いことを話しています(注:記事ですが実際に語っているのを聴いたこともあるので)。ここは意訳したほうが伝わりやすいと思うので、私の説明とさせてください。

経験に依存するメンタリングのリスクは、コーチングに備わっているツールやテクニックを合意の上で活用することによってカバーできる。またコーチングの手法がどのように成熟していくかを研究した結果から、コーチが有能になるほど自身の経験や知恵をよりうまく活用することが示されている。

どうやら従来のメンタリングはコーチングで補われ、コーチングはメンタリングで補われる、ということのようです。

コーチが自身の知識や経験に「執着することなく」、それを活用すること。2025年9月に改訂されたICFのコアコンピテンシーでは、このような関わり方が能力要件として明記されました。コーチングの現場における綿密な職務分析にもとづいた一つの結論です。

ではこれから、コーチングとメンタリングの区別はどうなっていくのでしょう。

クラッタ―バック博士の見解は明快です。

「この区別は重要だろうか?コーチングを受ける側やメンティにとって、彼らが望む成長につながる対話を得られているのであれば、おそらく重要ではないだろう」

ただしコーチがコーチングの本質を十分に理解して、実践に落とし込めることの重要性に変わりはありあません。コーチングに習熟していなければメンター的な関わりに限界があるし、そもそも自分の経験から外れたテーマを扱うことはできないからです。

AIコーチと成熟したヒューマンコーチが協働する世界

生成AIとのチャットに夢中になる人が増えている時代。それがたぶん当たり前になる社会では、24時間いつでもAIコーチを必要なときに呼び出すことができます。クラッタ―バック博士は以前から、定型的なコーチングはAIに取って代わられると強調しています。

そこでヒューマンコーチが担うのは、メンタリングで焦点を当てるような中長期的なキャリアや成熟への道、その過程で必要になる自己認識の転換など、複雑で非連続的なプロセスの支援です。

世界を覆う地政学的なリスクや気候変動、格差拡大に伴う人口移動による混乱など、個人のパフォーマンスの域を超えた課題も私たちを襲っています。それは一人ひとりのキャリアの選択や家族のあり方、もちろん経営戦略やビジネスプラン、そして心身の健康に影響を及ぼします。

たとえ1on1のコーチングに特化したサービスを提供するとしても、コーチは複雑なシステムの影響を理解した上で、専門家として関わることが期待されるでしょう。そのためにはコーチ自身が成熟していくこと、コーチ自身の経験を対人支援のために血肉化することが不可欠だと思います。

人として惹かれる先達に支援を求めることで成り立つメンタリング。属人性を排して手法としての再現性を追求してきたコーチング。それぞれの成り立ち、期待されることに違いはあれ、質の高いメンタリングにはメンターの傾聴力や関係構築力など、コーチングの基盤となる要素が埋め込まれてきたと思います。またコーチング技法を支える本質は、コーチの在り方なしに語れないことは明らかです。

これまで暗黙裡のうちに手法として一つの実践のなかを往来していたコーチングとメンタリングは、時代の変化と科学的な検証を経て、意図的な統合に向かっていくのかもしれません。

どんなに優れたAIコーチがただでコーチングをしてくれても、「この話はあなたに相談したい」と言われるヒューマンコーチが活躍する世界。彼ら彼女らが、同僚のAIコーチと自信をもって連携している未来を想像できますか。

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