私たちがコーチングを“マインドフルコーチング”と呼ぶ理由(2)
注意力の使い方次第で世界の見え方が違ってくる。
コアコンピテンシーキャンプ(MBCC🄬の原型となったコーチ道場)で、はじめてマインドフルリスニングを実践したときのことが忘れられません。
コーチはひたすら完全に聴く。それを信じてクライアントは話したいことを話す。コーチは質問や言葉を返すことは一切しないこと。
5分後、クライアント側から次のような声が上がってきました。
悩んでいたことが少し整理できた。
なんだかスッキリした。
途中から問題だと思わなくなった。
解決策が浮かんできた。
ほんとうの問題が何かわかった。
クライアントはみんな元気でした。
コーチは戸惑っていました。
その戸惑いの空気を要約すると、こういうことです。
“なにもしていない”のに、コーチングしたときよりクライアントに気づきが起きている・・・。
ふだん自分が一生懸命にしている質問や相手に送っている承認の言葉、あれはなんなのだ。
こういう戸惑いでした。
マインドフルコーチング🄬は2013年、こうして大手町の古い研修ルームで産声を上げたのでした。
ここで大事なことを補足しなければなりません。
以下は、前回のコラムのまとめに書いたものです。
マインドフルコーチング🄬は特定の方法論ではなく、あらゆるコーチングのアプローチを統合し、それぞれのコーチが自分らしく研ぎ澄ませていくための哲学的なダイナミズムである。
マインドフルリスニングというスキルがマインドフルコーチング🄬の産声になったというのではなく、マインドフルリスニングに内在する注意の質が産声の中身でした。
マインドフルリスニングは知覚のエラーを防ぐ
では一生懸命にスキルを使って行う「コーチング」とコーチングの本質を体現するマインドフルコーチング🄬では、どのように注意の質が違うのか。
ここはいったんコーチングから離れて思考の領域を広げ、そもそも学習とはどうやって進むかということの基礎理解が必要になります。
物事を学んで習得していく流れとは、できないことを少しずつ覚え、「わかった」を「できた」に変え、「できた」の再現性を上げていくジャーニーです。
覚えたことを意識的に実践するのは、かなり不自然で苦しい過程だったりもします。しかしそれをつづけることで、スキルは学習者自身に埋め込まれていきます。そうすると、自然なふるまいを通してスキルが必要に応じて現れてくる、という段階がおとずれます。
もちろんコーチングの学習も基本的にこの道をたどります。
経験の浅いコーチが一生懸命にさまざまなスキルを駆使する状態は、意識的にコーチングを実践している状態です。
このときコーチはクライアントに注意を向けながらも、刻々と変化している対話の展開において自分のスキル活用にも注意を向けることになります。このようにして注意が分散していくと、クライアントが表現していることをコーチが受けとめられない知覚のエラーが起きてきます。
これがコアコンピテンシーキャンプに集まっていたコーチたちに、日頃の仕事において起きていたことでした。
誤解なきように補足しますが、そのことを否定するわけではありません。繰り返しますが、これは何事においても学びの必然ですから。
ただ少し厄介なことに、コーチングではこの段階でさまざまなスキルを使っていることやクライアント側のバイアス(コーチングが機能していると思うことで満足する)から、あらゆる学習で目指しているはずの“自然にスキルが現れてくる段階”とのギャップを自覚できなくなることがあります。
マインドフルリスニングも一つのスキルですが、それは極めてシンプルです。実践において試されるのは(人によっては高いハードルになる)、“自分からいっさい働きかけることなく完全に聴くだけ”の状態になることへのマインドセットです。
ここではスキルを使って相手に貢献しようとする自分を手放すことが重要です。
いったんそのスイッチを押しさえすれば、あとは完全に聴き続けるための注意を管理しながら聴くだけです。手順がシンプルであるぶん、意識的な実践から自然なふるまいのなかでの実践に移りやすいのです。
完全に聴くということは、コーチの注意が完全にクライアントに向いているということです。この実践になれてくると、コーチも快適な状態で取り組めるようになります。
そうすると心理的な視野が広がり、お互いの関係性や場の空気、自分のなかで起きる反応もキャッチできるようになります。(この状態が真のマインドフルリスニングです)
そこまでくるには少し時間がかかるけれど、いかにも専門的にみえるさまざまなスキルを無意識領域に落とし込むよりも、ずっと早くできるようになります。
このようなコーチの注意とその反映であるマインドフルリスニングは、クライアントがその瞬間にもっとも適したかたちで自己を表現するのを助けます。コーチによる知覚のエラーと、それに気づかないまま対話をリードされる負の連鎖を防げるからです。
そして、なにかをしようとするのではなく、起きようとしていることが起きてくる・・・生成的な対話の場が生まれてきます。
もちろんマインドフルリスニングだけでマインドフルコーチング🄬が進むわけではありません。私たちがなぜマインドフルリスニングを大切にするかというと、この実践で経験する注意の在り方がコーチのOS(基盤)を形成していくからです。
この世界に「すごいコーチ」など必要ない
マインドフルコーチング🄬が産声を上げたコアコンピテンシーキャンプの場で、もう一つ忘れられない記憶があります。
コーチが自分のパフォーマンス(スキルを駆使する)を手放して受け身になることで起きる変化への受け止め方が、大きく二つに分かれたのです。
ひとつは、“なにかしようと思わないほうがうまくいくって面白い”という反応。
もうひとつは、“だけどコーチなのだからこんなやり方では・・・”という反応。
じつを言うと、明確に後者の反応を示したのは一名でした。
その人は後に別のところでコーチングの学習をつづけ、国際コーチング連盟の認定も取得していると聞いています。
目指していたものは、コーチが主役となってクライアントに「すごい」と思われるようなスキルを駆使することだったのかもしれません。
そのようなコーチングの手法自体を否定するつもりはありません。結果としてマインドフルコーチング🄬も、表向きは似たような展開になることだってあるからです。
しかしコーチが「すごい」ところを見せようとする自己への関心は、今ここでクライアントとの間に起きようとしていることへの注意を曇らせます。ここはアプリケーションとしてのスキルを支えるOSの部分なので、立場を異にするところだと思います。
公私にわたるクライアントの可能性を最大化する(国際コーチング連盟の定義より)のがコーチングであり、それは1ミリたりともコーチの可能性を最大化させること(させようとするエゴ)に向いてはならないというのがMBCC®の立場です。結果的にはクライアントとの関係性を通してコーチングの可能性は最大化されるのですが。
22年前、あるコーチから初めてコーチングを受けたときに言われた言葉が今も強く胸に刻まれています。
「てんせいさんのことを完全に100%信じていますからね」
正直に言うとその瞬間は、そのコーチと私が共に学んでいたコーチングプログラムのなかにある一節だな・・・と思ったのでした。きっとそれは私が、まだコーチングの本質や可能性を十分に理解していなかったからだと思います。
そのあと共にコーチングに取り組むなかで、あの言葉は教科書の一節ではなくコーチ自身の言葉だったのだと実感しました。
100%の信頼と共に向けられる開放的なクライアントへの注意は、探求への勇気と学習の力を呼び覚まします。
どんなにコーチングの道程が複雑で険しくても、いつでも戻ってこられる本質がマインドフルリスニングです。だからMBCC🄬では入門講座のSSUからプロフェッショナル養成のためのチェンジメーカーまで、変わりなくマインドフルリスニングを実践しつづけます。
<きょうのまとめ>
コーチが「すごい」ところを見せようとする自己への関心は、今ここでクライアントとの間に起きようとしていることへの注意を曇らせる。
マインドフルリスニングは完全に聴くことの実践であり、コーチのなかに人であれば宿命的に生じるエゴとの接し方を磨く実践ともいえる。
その意味では、マインドフルリスニングはコーチにとっての瞑想。そしてマインドフルコーチング🄬の実践者が、いつでも戻ってくることのできる場所。
MBCCファウンダー 吉田典生